宮崎産業経営大学



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建学の精神 大学の使命・目的・沿革

建学の精神

「師弟同行のもとに実学の精神を尊重する」

 大淀学園は、大正11年の開学以来、実学を重んじ、師弟同行の伝統を築いてきた。
 宮崎産業経営大学は、これを受け継ぐとともに、大学の基本的な機能である学術研究の側面を加味して「実学の精神を尊重する」ことを建学の精神としている。ここに「実学」といわず、敢えて「実学の精神」を謳うのは、学問を通じて人格の向上に努め、豊かな人間性と自在の精神を涵養し、先見性と創造性をもって、今後急速な変化が予想される国際化、情報化社会に的確に対応できる人材の育成を念願しているからである。
 また、本学は、「師弟同行」を教育実践の根幹に据えている。これは、教員と学生の人間的な触れ合いを通して、学生が主体的に実践、行動する力を養成するとともに、豊かな情操を育むための教育理念である。
 本学は、このようにして、現実の社会問題を前にしてたじろぐことなく取り組むことのできる、実際的な能力と柔軟な精神を備えた若者を地域社会の中核的な人材として送り出すことを使命としている。

本学の使命・目的

 本学は、学則の冒頭に「学術の中心として広く知識を授け、深く専門の学芸を教授研究するとともに、大淀学園の建学の精神にのっとり、個性豊かにして知的教養をもった有能な人材を育成し、もって文化の創造発展と、社会・人類の福祉に貢献すること」を大学の目的として掲げている。法学部・経営学部を擁する宮崎県内唯一の社会科学系の大学として、地域の振興・発展を願う地元の人々や企業、行政の期待を担って誕生した本学は、地域社会における中核的人材の育成と、本学が有する学術研究機能を地域に還元することを通して、この目的を達成すべく努力を続けている。

沿革

学  校  法  人  の  沿  革  (  概  要  )
大正11(1922)年4月 日州高等簿記学校設立。
昭和6(1931)年6月 日州高等簿記学校を宮崎高等計理学校と校名変更。
昭和12(1937)年4月 宮崎高等計理学校を宮崎高等経理学校と校名変更。
昭和19(1944)年4月 宮崎高等経理学校を宮崎女子経理学校と校名変更。
昭和21(1946)年4月 宮崎女子経理学校を宮崎高等経理学校と校名変更。
昭和28(1953)年12月 学校法人大淀学園設置認可。
昭和39(1964)年9月 宮崎高等経理学校を宮崎中央高等商業学校に校名変更。
昭和40(1965)年4月 宮崎中央高等学校開校。商業科、家政科設置。
昭和41(1966)年4月 宮崎中央高等学校建築科、土木科増設。
昭和42(1967)年3月 宮崎中央高等商業学校廃止。
昭和45(1970)年3月 宮崎中央高等学校家政科廃止。
昭和46(1971)年3月 宮崎中央高等学校土木科廃止。
昭和50(1975)年4月 宮崎中央高等学校衛生看護科、インテリア科増設。
昭和56(1981)年4月 宮崎中央高等学校衛生看護専攻科(文部大臣指定)増設。
昭和58(1983)年4月 宮崎中央高等学校普通科(体育専攻)、機械科増設。
昭和60(1985)年4月 宮崎中央高等学校医療業務科増設。
昭和62(1987)年2月 宮崎産業経営大学法学部法律学科、経営学部経営学科設置認可。
昭和62(1987)年4月 宮崎産業経営大学開学。法学部法律学科、経営学部経営学科設置。
宮崎中央高等学校普通科(進学コース)増設。
昭和63(1988)年4月 宮崎中央高等学校英数科増設。
平成元(1989)年3月 宮崎中央高等学校建築科廃止。
平成元(1989)年4月 宮崎中央高等学校を鵬翔高等学校に校名変更。同校体育科、
自動車工学科、コンピュータ機械工学科増設。
平成2(1990)年12月 宮崎産業経営大学経済学部経済学科、観光経済学科設置認可。
平成3(1991)年3月 鵬翔高等学校普通科、インテリア科、機械科廃止。
平成3(1991)年4月 宮崎産業経営大学経済学部経済学科、観光経済学科設置。
平成14(2002)年4月 宮崎産業経営大学経済学部経済学科、観光経済学科募集停止。
平成14(2002)年11月 鵬翔中学校設置認可。
平成15(2003)年4月 鵬翔中学校開学。
平成17(2005)年3月 宮崎産業経営大学経済学部経済学科、観光経済学科廃止。
鵬翔高等学校体育科廃止。
平成20(2008)年4月 鵬翔高等学校特進英数科、くらしの科学科、システム工学科増設。

 

学びについて

在学生用

学校法人 大淀学園

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